2001年9月27日

 九州教区の皆様へ

                           九州教区主教ガブリエル五十嵐正司

9月11日の事件は想像を越える、衝撃的事件であり、現実の出来事として受け止めるにはしぱらく時が必要でした。夜2時半にテレビを消して床につくときには、映画を見終わったような錯覚がいたしました。それ程に信じられない出来事でした。飛行機の乗客の思いを想像し、また貿易センタービルに働く人々、不安の内に脱出しようと非常階段を降りていく人々、大切な人をビルから見つけだすことができず不安と悲しみにある人々、ワシントンの国防総省においても同じような惨状の中にある人々を想像いたしますとき、このテロを行った者たちの独り善がりの犯罪に、恐ろしさを覚えます。

テロ実行者、また指示した者、援助する者に対し、怒りを持つことは十分に理解できます。プッシュ大統領は怒りをもって最も責任あるビンラディン氏を生死に拘らず探し出すようにと言われ、人々はこの言葉に拍手しています。しかしこの怒り、復讐心が新たな悲惨な出来事を起こすのではないかと危倶を感じざるを得ません。聖パウロがロ一マの信徒へ送った次の言葉が思い起こされます。「肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の手なのです。」(8:13-14)

米国聖公会総裁主教であるグリスワルド師は、怒りや復讐心を持つことを理解しつつも、暴力に対して暴力でもって応えることはキリストの教会が求めているものではない、と述べ、今、この時にこそ、剣を鋤に変えて平和を求める決断をするときであると信仰によって米国民に訴えています。

犯罪者が適切な処罰を受けることは当然です。しかし圧倒的な力をもって犯罪者を見つける圧力が、更なる聖戦の兵士を生み出している様子を知らされている今、冷静さと神の智慧を願い求めざるを得ません。この危機的状況の中で、正義と平和を求める動きが、人類の新たなる良き歴史を造る契機となることを願います。

グリスワルド総裁主教たち米国聖公会の仲間と共に、主の善しとされる平和へと導かれますようお祈りください。(2001年9月27日)


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