2002年12月号

   月日の移り変わりと季節の変化の早さに驚くことしきり、教会暦も救い主を特ち望む降臨節に入りました。
 夕刻、薬物依存からの自立を助ける組織ダルクを支えるため月例会に出かけました。市の精神保健福祉行政に携わる人、医師、弁護士、そして、ダルクのスタッフと、皆さん若い方々ばかりのニ十名程で、牧師の自分が最も年寄りの集いです。
 自身が薬物に浸り苦しんで今は自助グループのために働いている伊藤さんに私は「若者が薬から抜け出せる最大のきっかけは何ですか」と尋ねました。「どん底まで落ちて、この侭だと自分は破滅するという事実 に気づいて、抜け出そうとする意志です」という答えが返ってきました。
 そういえば、イエスの「放蕩息子の賢え」でも、弟は父や兄を泣かせ、有り余る金を放蕩三昧に使い果たしどん底まで落ちて漸く「我にかえって」親一九に帰る決意をしました。救いの道は異なっても、全ての人 に備えられていることを改めて知る季節となりました。
(フランシスNH)


2002年11月号

   この夏、二十年かけて北海道富良野の家族を描き続けた「北の国から」の最終回が放映された。黒板家を中心に濃密に人と人との関係が描かれ、心に浸み入る場面が多々あった。
 私も純と蛍という兄妹を幼い時分から見つづけ、その折々に胸が熱くなったものだった。何故あんなにもこのドラマは人の心を打ったのだろうか。それは、木誠で不器用な主人公の五郎の、こよなく大地と家族を愛する、その生き方にあったのではないだろうか。現代人は肌に感じる大地を失い、淡泊な家族関係しか持ち得ないがゆえに、黒板家に郷愁を感じ、感情移入をしてきたのではないだろうか。
 明治の一外交官の生涯を綴った小説「純愛−エセルと陸奥廣吉」にも心動かされた。英国女性と結婚し、家族を最優先に、明治と大正の時代を生き抜いた希有な人物である。
 会社のため・国家のためにと、家族に犠牲を強要する社会や時代は偽りである。修身・斎家・治国・平天下という言葉はその順序において正しい。(フランシスNH)


2002年10月号

   それぞれの町や村で思いを凝らした「道の駅」も楽 しみの一つである。鳥取からは国道を離れて海沿いの 道を行った。五十キロぐらい走っていると、静かな入 江で海水浴を楽しむ人々が目に入ったので立ち寄るこ とにした。
 偶然にもそこは、かつて、強風にあおられて列車が転 落して多くの犠牲者がでた餘部(アマルベ)鉄橋の真下であった。 空高くそびえ立つ鉄骨だけの見事な造形美の鉄橋であ った。
 記念石碑に、明治四十二年にアメリカから鉄骨を取 り寄せ、山陰線で最も難しい工事が始まったとある。 九十三年の歳月、強い潮風に耐えて今も列車を通して いることに感銘することしきりであった。橋を見上げ ながら「岩の上に家を建よ」というイエス様の譬えが ふと思い浮かんだことでした。(フランシスNH)


2002年9月号

   私たちには変えることができないものがある一方、変えていかなくてはならないものが他方あるようです。
 アメリカの著名な神学者リチャード・二ーバーの次の祈りはとても印象的です。「主よ、変えることのできないものを受け入れる心と、変えなければならないものを変える勇気とをお与えくださいー』。不変なものを受容するにも、変化をなす努力をするにも、共に大変な勇気を必要とします。
 そのために最も大切なものは、世の常識や凝り固まった観念からいつも心を解放する、心の自由ではないでしょうか。
 しかし、それは真の神様を信じることによってのみ、初めて得られるものではないでしょうか。真の神様のみを絶対とすることによって初めて、他のものは全て相対化されていくものと思います。
 モーセの十戒の一節『わたしをおいてはほかに神があってはならな』とは、人を不自由にするどころか、実は反対に、人を解放し、自由にする素晴らしい言葉なのです。 (フランシスNH)


2002年8月号

   習慣としての献金を捧げる行為はとても大切なことです。 何故なら自己の所有物を他者に用いて貰う事を通して実は自 分が豊かにされているのです。もしも、この社会が、吝嗇(リンショク)で、他人のものを奪い取り、人の不幸に手を差し伸べない人々だらけだったら、どうでしよう。そこは、死の世界です。
 かつて聖地巡礼した際に大変な感銘を受けた風景は、二つの湖でした。一つは静けさに満ちた美しいガリラヤ湖です。そこを起点にヨルダン川はもう一つの湖に豊かな水を注ぎ込みます、死海という名の湖へです。砂漠地帯と海抜下のため、水は行き所を失い、水は蒸発するだけです。異常な塩分濃度のため、水の中の生き物は生息できずに、文字どおり死の海となっています。
 二つの湖は人の心のありようを映し出しています。満々と美しい水をたたえた力リラヤ湖のように、愛情を注ぎ出す人は、いつまでも瑞々しく、逆に、受けるばかりで愛を注ぎ出すことをしない人は、荒涼殺伐として、心が死んだも同然です。 (フランシスNH)


2002年7月号

   恵まれたことに、殆どの教会は広い敷地を有しています。私は動物好きということもあって、その利を活かしこれまで兎やチャボや犬を飼つてきました。
 兎を飼っていた頃は、河原や鉄道沿線に出かけて、 乳草を毎日探って与えたものです。
 チャボを飼っていた頃は、三月に一度くらい、精米所 に行って小屋の床に敷く籾穀を貰ったものです。兎の ふんも、籾穀にまみれたチャボのふんも、樹木や花壇 の肥料に最適で、よく根元に施肥をしたものです。全 てが自然のサイクルとして役に立ち、無駄なものは何 ひとつとしてない、という事を教わりました。
 今は犬を飼っていますが、愛犬のお陰で、どんなに疲 れていても早朝の散歩に行かざるを得ません。私の健 康を支えてくれるだけでなく、行き交うご近所の方や 散歩中の方々と親しく接することができるようになっ たのも飼い犬のお陰です。まさに神が命を与えたもう もので無益なものはーつもありません。
(フランシスNH)


2002年6月号

   先日、誘われるが侭に「星の会」という、年にニ回開かれる小さな集いに出かけました。
 病気や染色体異常によって氷く生きられなかった可愛い子供を想い、悲しみを共有する親御さんたちと、その家族を支える病院スタッフの三〇人ぐらいの集まりです。一人ひとりのお母さんが、涙しながらお子さんの思い出を語ってくれました。
 お腹を痛めて生んだ子供を失う悲しみは、生きている限り決して癒されないのだということが、ひしひしと伝わってきました。
 母親の一人が語った言葉は今も忘れません。「目に見えるもの、役に立つものだけが意味があるんでしょうか? 生きていることだけが意味があるんでしょうか? 死んだら無意味なんでしようか? 今はこう思っています、子供の誕生が始まりであったように、子供の死も始まりだと。全てに意味があると思っています。」まさに、キリストの真理に到達する心境のごとき言葉に感動したー日でした。
(フランシスNH)


2002年5月号

   この拙文が人の目に触れるのは五月。 ひと月前に原稿を書き送るので、目まで るしく変わる現在の事象について記すと どうしても的外れになってしまいます。
 二月から三月にかけて国政レベルでは外務省問題を 契機に始まった混乱が、鈴木氏の証人喚問に端を発し、 全く予測もしなかった辻元氏、更には加藤氏の不正問題へ と変質してしまいました。権力をふるっていた人が失 墜し、希望を託されていた人が色あせてしまう、まさ に此の世は「一寸先は闇」。私たちの身近なところでも、 こつこつ働いていた職場で突然リストラされたり、よ もやと思っていた会社の倒産で解雇の要き目にあった 人々がいます。
 教会の季節はイエスの復活を喜び感謝して過ごす復 活節です。十字架の死から歓喜の復活へ、敗北から勝 利へ、闇から光へ。そう言えば、半年前に迎えた降誕 節でも、教会では闇と光、絶望と希望が語られました。 イエスを信じる人にとり「一寸先は光」であるように。
(フランシスNH)


2002年4月号

   近ごろある会合に久しぶりに出たときに、驚いたことがありました。それというのも、過去の苦しい出来事を通して改革されたルールが、 いつしか忘れ去られていたのです。
 『喉元過ぎれば熱さも忘れ』という諺がありますが二度と味わいたくない苦渋に満ちた体験も、意識化を怠ると、平穏な日々の日常の中で、風化され忘れ去られてしまうのではないでしょうか。
 折角貴重な体験を通して反省し改革した事柄も、いつしか元の木阿弥になり、再び同じ轍を踏むことになります。
 個人も民族も、歴史の一瞬の『体験』を忘れないように、意識的に継承しようと努力していくときに初めて普遍的な『経験』となるのではないでしょうか。
 旧約の民は族長時代の飢餓・放浪・奴隷・解放・定住の体験を、信仰告白という形で祭儀のたびごとに繰り返し唱えることで、普遍的な経験として継承していきました。[申命記二六章五節以下]
(フランシスNH)


2002年3月号

  幸せなことに、今 遣わされている教会 の目と鼻の先には小 学校があり、毎朝、 子供達がおふざけを したり得意げにお喋 りをして登校する声を耳に します。小鳥の囀りのように、 自然のー部として、身の回 りに子供の声が聞こえる、 ということは何でもないよ うにみえて、実は、大変恵 まれたことだと感じていま す。
もし、私が幼いときにハ ンセン病に躍り、『ライ予 防法』によって強制隔離され、 不妊手術され、療養所で生 涯を過ごすことになってい たら、社会と自然の一部分 である子供の存在も声も知 らないままに人生を閉じな ければならなかったでしょう。 そう想うと、それが如何に 人道に対する国の犯罪であ り『悪法』であったかが身 にしみて分かります。半世 紀以上にわたりそれを放置 した、私を含めた国民の意 志によって成された国家の 責任は万死に値します。心 からの謝罪と償いが問われ ています。
(フランシスNH)


2002年2月号

  新年礼拝が終わった 後の静かな数日、新し い聖公会手帳に必要な 事柄を記入していると、 漸く気持ちが改まって きます。
書棚の一角に三三年分の聖 公会手帳が並んでいます。身 辺雑記を含めた自分の生活史 ですから、度重なる引っ越し でも捨てられないまま今に至っ ています。
新しい手帳の頁をめくりな がら、何と使いにくい!という 思いです。編集者は自分の創 意工夫・新機軸を打ち出そう と意気込んでしたのでしょう。 そこには、何か新しい事をし なければならないという強迫 観念と、過去を踏襲すること に対する罪意識があるのかな ?と想像します。 マンネリズムは決して負の 言葉ではない。キリスト教会 では、二千年間連綿として聖 餐式を捧げてきた。これこそ、 偉大な、誇りをもって守り続 けるマンネリズムである。新 しい手帳に記入間違いをしな いように、月の変わりめの頁 を糊付けしながら思う事しき り。
(フランシスN・H)


2002年1月号

  早朝のひととき、 教会の敷地や周辺の 道を掃き清めるのを 日課にしていますが、 地面にしゃがんでガ ラスの破片や吸い殻 や空き缶のプルトッ プをーつひとつ拾っている と、自然や人々の移り変わ りに気づかされます。例え ギ、雛の羽毛が落ちている と、大木の上で鳥が巣をつ くり子育てに励んでいるん だナァといった具合に。
 教会も、主日の礼拝で信 徒の交わりをなしているだ けでは、分からないことが 多いのではないでしょうか。 信徒や求道者のお宅を訪問 して、その人がー週間の大 半を過ごしている、家庭や 職場で親しく接してこそ、 初めて様々の悩みや抱えて いる問題が見えてくるよう に思います。パキスタンの ペシャワールで、永年医療 活動を行っている中村哲医 師は、国会に招かれて自衛 隊派遣の意見陳述を求めら れたとき、「有害無益」と 明言しました。彼の地で地 面に這いつくばっているが 故に見えているのです。
(フランシスN・H)


2001年の荒野の声

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日本聖公会九州教区