2007年11月号
九月七日から四日間、久しぶりに協働関係にあるフィリピン中央教区を九州教区の十一人と共に訪ねました。六年間の協働関係があるからでしょうか、各地で温かな歓迎を受けました。
その中でも特に思い起こしますのはパヨン・アンティポロ・リサールにあります聖マーガレット教会の人々です。
この人々はフィリピン最南端にあるミンダナオ地方に住む聖公会の信徒でした。ミンダナオは隣国マレーシアに近く、イスラム教文化の影響を受けイスラム教徒が多く住む地域です。ニューヨーク貿易センター同時テロ以降ミンダナオ地域にもテロ事件が起きました。クリスチャンの彼らは身の危険を感じ、ついに家を離れ、生活の場を離れて中央教区の地域に避難して来たのです。六十家族程が集まっているとのことです。
逃げてきたばかりの彼らには雨露を凌ぐ場の確保が第一だったのでしょう。土地は地主から借り集会場を手造りで建て、四隅に柱と屋根があるだけの建物でした。
この人々の存在を知ったタクロバオ主教はこの集会場で礼拝を始め、聖マーガレット教会と命名されました。
彼らはどの様にして生活の糧を得るのか、病気になった場合どうしているのか、子供たちは学校に行かれず週日を過ごしています。
この様な現状を見て、タクロバオ主教は、パンの提供も必要ながら、自立し、尊厳を持って生きて行けるように成る為には何よりも教育が必要であると幻を語ってくださいました。この幻は聖マーガレト教会の人々にとっての切実な幻であり、明るい希望と励ましと成っていることでしょう。
この人々の顔を思い浮かべながら、わたしもこの幻を共にしたいと願いました。
2007年10月号
8月5日に広島平和礼拝に参加しました。神戸教区としては今年が第3回目の礼拝となり、この度は、神戸教区が日本聖公会各教区に参加呼びかけをし宿泊費は神戸教区が負担するとの申出をされる力の入れようでした。
参加者も交通費を各自持ちで北海道、東北、東京、名古屋、沖縄等から来られ、思いのこもった礼拝、集会でした。
夕方にはカトリック教会の人々と共に広島原爆犠牲者の墓前に集い魂の平安を願い、また世界の平和を願って祈りました。
カトリック教会は東京以西の人々が各地から集い、教区名を記したプラカードのうしろには信徒、聖職、シスターたちが多数おられました。
墓前の祈りに引続きカトリック大聖堂まで約1時間かけて平和行進をして、大聖堂では平和祈願ミサを共にいたしました。
出席者は約800人とも言われ、そのうち100人程が聖公会の仲間でした。
広島復活教会ではわたしが「キリストの平和」と題して講話をいたしましたが、その後に被爆者のお二人が別々にわたしに話に来られました。
原爆が作り出した惨状は地獄としてしか表現できない。その時の話をすること、証をすることは、あの地獄を今、目の前に再現するようで話すことが苦しい。夫にさえまだ話せない、と一人のご婦人が話してくださったのです。また別の人も同じように話されました。
原爆は、今も苦しみを与え続ける残酷な武器であると知らされました。
夫に話せない程の体験ですので聞く者が苦しみの深さを知ることは難しいことでしょう。しかし、想像を逞しくしながらでも「二度とあやまちはくり返しません」と訴えねばならない必要を感じたのです。そうでなければ、原爆投下も「しようがない」と言う者がまた現れかねないからです。
2007年9月号
先日、他の教派の方と一緒に会食をする機会がありました。
その方はクリスチャンとして長く教会に関わり、日曜学校の働きを三十年以上校長として引受けてこられた方です。私よりも一回り以上年上の人であり、クリスチャンの模範と言われる方です。
会食の終りに、印刷されていた聖公会とローマ・カトリック教会共通の「主の祈り」を用いて共に祈りました。祈りが終わって散会する際に、この人が思い出したかのように言われたのです。「『わたしたちも人を赦します。』と言われても人にはできることではないですね。」
職業柄、人の心の弱さ、冷たさ、ドロドロした人間関係を知っている人ゆえに、「人にはできることではない。」とハッキリと言われたのでしょう。
突然の発言に、わたしから用意せずに咄嗟に口から出た言葉は「イエスが赦してくださっていることを受け入れること、とわたしは信じています。」
この言葉に直ぐに「アッ、そうか。」と驚いた様に、笑顔で反応されたのです。
この受け答えは、十秒足らずのことでした。
今、振り返って見ますとそこに清々しい風がフッと吹いたように感じられたのです。
心に引っ掛かっていたことをキリストの十字架がフッと飛ばしてくれた。
その場にいる人たちにも、一瞬の出来事のようではあっても、心にキリストの風を受けた爽やかさがあったように感じられました。
聖霊が働いたとわたしは信じています。
聖霊は適切に「時と所」を決めて確かに働いてくださる。
キリストの十字架の恵みに触れた人の喜びは、その周囲の人々をも巻き込む喜びでした。
2007年8月号
六月九日にリデル、ライト両女史顕彰会によって春季記念礼拝が行なわれ、菊池黎明教会の中山弥弘さんの奨励を伺いました。
その話の中で「最近、わたしはハンセン病になって良かった、と思うのです。」と言われたのです。わたしは聞き違いかと思いまして耳を澄ませて聞きました。
中山さんは玉木愛子さん(元降臨教会の信徒)の俳句「毛虫匍(はえ)り 蝶となる日を夢みつつ」を紹介しながら、わたしも玉木さんと同じ状況なのです、と言われました。両手両足が病気ゆえに不自由となり片足は義足であり、目が見えません。玉木さんと同じように移動する姿は毛虫が匍ような姿に見えるのでしょう。しかし、その身体が終わるとき、復活して蝶のように羽ばたくと言われたのです。復活については聖パウロがコリントの信徒たちに次のように伝えています。「蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。」
中山さんは蝶のように自由に羽ばたく復活信仰を表明されました。
以前、中山さんは聖パウロの言葉「キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」を引用されて、自分たちはキリストを生きている、と言われました。キリストと共に十字架の苦しみを担い、復活の信仰を確かにもって、今、生きておられるのです。だからでしょうか証の中で、生きる甲斐ある人生ですと話されたのです。
ケネス・リーチ司祭の本「十字架が語りかけるもの」(聖公会出版)に記されている次の言葉を身近に感じました。
「十字架と暗闇の惨めさの中で神は知られる。」
2007年7月号
五月の下旬に長崎県の生月島、平戸、出津、黒崎を訪ね最後に長崎26聖人の記念館を訪ねました。キリシタン聖地と言われている各所です。今回は初めて枯松神社を訪ねました。 同神社は日本に3箇所あるキリシタン神社の一つ。小高い丘の上にあり、黒崎の街から歩くにはかなりのエネルギーが必要な場所です。しかし、神社に近付くと自然の木々に覆われた静寂な聖地と言われるに相応しい所に辿り着きます。
神社の少し手前には「祈りの岩」がありました。迫害時代、信徒たちは悲しみ節(大斎節)の夜にそこに集まり、寒さに耐えながらオラショ(祈り)を唱え、また伝承していたとのことです。
神社の祠の中央、一番奥に安置されている石にはカタカナの横書きで小さくサンジワンと彫られ、縦に大きく枯松神社と彫られていました。
大斎節の夜、丘の上の寒いところに人々が集まりオラショを唱えている。その姿を想像しながら、今回巡礼したわたしたちもその場で祈りました。それは感謝の祈りでした。
困難な状況にも拘わらず、キリストを受入れてキリストの命を生きた人々。キリストの命を確かめるために聖徒の仲間が集まり共に祈り、また励ましあったのでしょう。
26聖人の処刑されたところに於いても主への感謝の思いが浮かびました。殉教の様子は残忍そのものです。しかし、殉教の恵みを与えられた人々は喜びをもって十字架に走り寄ったとのこと。パウロ三木は十字架上で最後の説教をし「わたしは国王(秀吉)とこの死刑に関わったすべての人を赦す。王に対して憎しみはなく、むしろ彼とすべての日本人がキリスト信者になることを切望する。」と言われたとのこと。
キリストの愛に心底喜び、生きて殉教した人々の喜びを受けとめる旅でした。
2007年6月号
六月五日(火)より七日(木)の二泊三日で唐津に於いて沖縄、九州、神戸三教区の合同教役者会が開催されます。わたしはこの会に何かを期待しています。その準備のために沖縄教区、九州教区両常置委員長とわたしの三人で話し合う機会が与えられました。
その場で三人共に気付きましたことは、隣の教区の人々の思いを、相互に知らないということでした。
九州教区はフィリピン中央教区の人々の顔と働きについて知り、常に祈っています。沖縄教区も大韓聖公会釜山教区の人々の顔を知り、共に宣教活動をして、祈り合っています。しかし、九州教区と沖縄教区では相互の顔が見えず、祈ることも少ないのです。
更に、知らされたことは、沖縄教区が伝道に取組む強い思いでした。沖縄教区が平和に取組む熱心は知っていましたが、伝道に取組む強い思いは知りませんでした。現在受聖餐者が五百人であることを思うと、今までとは違う何かをしなければ、どうにもならない、との言葉にハッとしました。
どうにもならない、は九州教区も同じなのです。 聖職の後継者を求める召命黙想会は神戸教区から始まったと知らされた時にもハッとしました。 後継者養成に苦労しているお隣さん、何が何でも伝道に取組もうとしているお隣さん。 三教区は平和を求め、祈る活動をしています。戦地となった沖縄、原爆を投下された長崎、広島。三教区の人々が親しく話合い、関心事と困難を分かち合う時に、より良く現状に取組む道が見いだせるのではないか。 主の平和の器として、主の御言を伝える器として、何か新しい展開ができるのではないか。六月に開催される三教区合同教役者会に期待するのです。お祈りください。
2007年5月号
三月の末にウィリアムス神学館、聖公会神学院の学びを終えて、任地に赴く十二人の新任研修が実施されました。東村山市の全生園(国立ハンセン病療養所)に集合して二泊三日での研修でした。 ハンセン病を患ったが故に苦渋の人生を生き、キリストを信じて今日まで過ごしてきた聖公会の仲間から大歓迎を受けました。神学生がこのように大勢訪ねて来られたのは初めて、しかも、新任研修の場としてわたしたちとの交流を先ず考えてもらえたことが嬉しいと喜んでくださいました。その喜びに、恐縮を覚えつつも、わたしたちの喜びともなり、新たな出会いの体験ともなりました。 翌日は、えん罪・狭山事件の当事者である石川一雄ご夫妻から二時間程お話を伺いました。
犯人として作られてしまった様子、えん罪を信じた看守の励ましによって、八年かけて字を習い、身の潔白を表明するようになった経緯等の話を聞きました。石川さんも御連れ合いも誠実な、忍耐強い方であり、希望を持って歩む方でした。
しかし、そこに至るまでには悲しみの時、悩みの時、憤りの時、絶望の時も有ったであろうと推察しました。
証拠とされた靴跡は小さ過ぎて自分には履けない靴ですとの言葉には驚きました。これ程に基本的なことを認めず裁判が行なわれたことへの驚きでした。事件現場とされた所を歩いて、更に石川さんの訴えに共感しました。石川さんの訴えの趣旨は「既に集められた証拠をすべて開示して再審して欲しい」でした。無罪・えん罪の訴えをする必要が無いと確信しているからでしょう。
新任研修は顔と顔を合わせて誠実に向き合い、新たな出会いが与えられる恵みの時でした。任地に赴く者にとっては人との関わりについて思い巡らす貴重な体験でした。
2007年3月号
この一月に聖公会神学院の短期集中講座に出席しました。「スピリチャリティのこれまで、いま、これから」のテーマのもと英国聖公会のケネス・リーチ司祭の講演でした。久しぶりにしっかりと学び、多くの事に気付かされました。博学とはまさにこの人のことを言うのではないか、と思える程の人でした。また良い人柄にも触れて充実した時を過ごしました。
多くの話の中に九州教区に示唆を与えられる話がありました。
リーチ司祭が米国聖公会ノーザン・ミシガン教区に招かれた時の印象を話されたのです。広い地域を持つ同教区ですが司祭は八人のみ。各教会の信徒数は多くはない。しかし、生き生きしていたとのこと。そこでの研修会に集まった人びとは皆、生き生きしていて、誰が信徒で、誰が聖職だか分からない程に、その場に集まった人は皆が当事者の面持ちをもって参加していたそうです。
ノーザン・ミシガン教区においても聖職不足から特任聖職が必要とされ、信徒が主日礼拝を司式せざるを得ない状況になっているとのこと。しかし、この新しい状況が各教会に信徒・聖職の協働を促し、それが主に用いられて、人々に力が増し加えられていったと思えるとのことでした。
信徒と聖職が共に主の恵みを喜び、感謝賛美の礼拝を行い、共に福音を伝え、共に働く。信徒と言うと何か聖職よりも劣っているかのような誤解が生じかねないので、同教区では「信徒」と言う言葉を使うのは止めようかとも話されたとのことでした。
いつも、どのような時にも、不安な時にも共にいてくださる主を信じて歩み続けましょう。「わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15・16)とのイエスの言葉を思い起こして。
2007年2月号
降誕日には初めて教会に来られる人がおられますが、今年も初めての方と一緒に主のご降誕に感謝する礼拝を行なうことができました。
隣りにはこの方をお連れした教会の方が座り、祈祷書のページを示したり、聖歌集を開けて礼拝に参加し易いように手助けされていました。
礼拝後に、感想を尋ねてみました。その方は「キリスト教会には初めて入りました。礼拝に参加させてもらって感動をいたしました。」と涙を滲ませながら言われたのです。
祈りの言葉、聖書のみ言葉、聖歌の歌詞と曲、信徒・聖職が共に応答しながら、陪餐の際には前に進み、御体、御血をいただく姿。一緒に前に進み出たこの方には祝福を祈りました。
これらの出来事すべてが心に響くものであったのでしょう。
毎主日礼拝している者にはルーティンのようになってしまい、感動的な出来事が、当たり前のように思えてしまうのでしょうか。涙しながら感動しましたと言われたその方の言葉にハッといたしました。
礼拝出席者が常には感動できないとしても、わたしたちの礼拝には涙する程に心に触れるものがあることを改めて思い起こさせてもらいました。
クリスマスに教会に誘われたこの人は既に心の準備が整っていたのでしょう。仕事を休み、しかも二時間かけてでも降誕日礼拝に出席したかったのでしょう。それ故に礼拝のすべてを用いて語りかける神の御心がこの人に届いたのではないでしょうか。
心の備えをして礼拝に参加できるならば新たなものがわたしたちにも届けられるかもしれません。礼拝の始まる三十分前にほとんどの信徒が席に座っている九州教区の仲間を思い起こします。 |