教区報「はばたく」に掲載のコラム
2011年バックナンバー

2011年12月号

 この前、仕事で一人で韓国へ行きました。
私は自分の二人の母達(結婚すると親が二倍になるのは本当に素晴らしいことです)と会いました。
この二人の母達は「これは孫達に。」「これは私の娘に。」と言いながら、私のトランクの中に沢山のお土産を入れてくれました。
帰り道、私は、子どもの衣服やいろんなオカズ等々で一杯になって、かなり重みのあるトランク(約二六s)を引きずって、李執事の車、飛行機、主教様の車と乗り継ぎ、新幹線で帰ってきました。
私の周りの人々は「このトランクの中身(葱キムチ、漬け物、スルメイカ等々…。)が何なのか」臭いを匂いで大体見当をつけることができるほどでした。
重さはともかく、その乙な匂いのため恥しいこともありましたが、私は、むしろ誇らしく嬉しかったのです。
そのトランクの重みと匂いから自分の母達の愛を感じたからでしょう。

私は一人でこう呟いていました。
「オモニ(韓国語で「お母さん」という意味)の愛は本当に重荷」…重荷はより多く愛されている証拠であると勝手に思う私でした。 (李)

 

2011年11月号

 子モーセは、幼子の時親から捨てられ、籠に乗せられてナイル 川に押し流される最中、ファラオの王女に見つかって救われ、 それから四十年間王宮で育ちました。

そして、また色々な経緯で羊飼いになってミディアンの荒野を彷徨したこともあります。
とうとう彼は神様のお呼びを頂き、エジプトで奴隷暮らしをしていたイスラエルの民を救う任務を引き受けることになりました。

その時彼の年齢は八十歳でした(出エジプト七章七節)。
神様は人を一所懸命訓練されて、ようやく神様のご用が出来るようにされたのです。

その年齢が八十歳なのです。

神様の人づくりはこんなに長かったのです。
年を召した皆様!これからです!
皆様は、すべてのことを経験され、良く熟して、この世のあらゆる筋道を良くご存知です。

やっと人づくりを終えていよいよ派遣しようとしていらっしゃる神様の前で私たちが「もう八十を越えて、これから私には死だけが残っている。」なんて言ったら、私たちは神様に怒られるでしょう。

決してそう言って欲しくありません。
人生はこれからです。

ご一緒にこぶしを揚げて掛け声を掛けましょう。「人生は八十から!」 (李)

2011年10月号

 子どもは仮面ライダーやスウィート・プリキュアを観るのが好きです。
危機状況に遭いますと、仮面ライダーとプリキュア、このテレビスター達は、それぞれ「戦闘モード」に変身して悪党と戦うのです。
実は、私も度々変身しています。例えば、運転中に誰かが私の車を追い越す時、連れ合いと主張が食い違って争う時、子どものいたずらがひどくなる時…、私は全身から炎を発散させる化け物ドラゴンに変身します。

もしかして、これはむしろ、その瞬間に私が自分の元々の姿に戻るのかも分かりません。

私のこの変身現象がどんなに酷いか、連れ合いは牧師館の扉を「魔法の扉」と言います。
この「魔法の扉」を通りますと、そんなに善良で真面目だった李司祭が邪悪で怠け者に完全に変身するからです。

皆さんはいかがでしょうか?
皆さんにとって「魔法の扉」は何でしょうか?
もしかして「教会の扉」ではないでしょうか?

これ からでもこの変身を止めようと決心します。たとえ変身しても、少なくとも変心まではしないようにと…。 (李)

2011年9月号

 車は燃費が重要だと言います。
「燃費が良い車」が良い車 です。即ちガソリンを少し「食べて」遠くまで走れる車を「良い車」と言います。

最近「節約・低燃費」という言葉を聞く度に 私は何となく気が咎めます。
実は私は「沢山食べても太らない し、食べる量に比べてあまり役に立たない」いわゆる「燃費の 悪い人間」だからです。

私の「信仰の燃費」も同じように悪いのです。

神様から沢山の愛を頂いているのに、恩返しをしようと もしないし、報いることは出来ないとしても、少なくともその
愛を隣人と少しでも分かち合っているのか、神様は昔から今まで私に与えてくださった沢山の愛と恵みの効果をどのように見ていらっしゃるか考えてみますと、恥じ入って自然に首をうなだれることになります。

もし私が車なら神様は燃費の悪い私を直ちに廃車にされないか?心配です。

こういう訳で、テレビで「節約・低燃費」のことが話されますと、何となくびびります。

皆さんはいかがでしょうか?
皆さんの「愛の燃費」は良いでしょうか?

私たちの生活の中で「愛の燃費」が良くなりますようにお祈りします。 (李)

2011年8月号

 日本の「和」も聖公会の「中庸(VIA MEDIA)」も平和共存の素晴らしい理念です。

しかしどこでも一長一短があるようにこの理念にも問題点があります。
即ち私たちが相手の誤った意見に対して確実に「NO」と答えなくなってしまったということです。

私たちの答えは凄く曖昧になっています。「和・中庸」はビニールハウスと似ています。
ビニールハウスは、皆を暖かく守ってくれてその中で、生なり木や雑草を問わず皆が合わさって森になるようにしてくれます。
ですからその中の真理の木も命の木も他の色んな草木の中の「ただの一種類の木」として扱われる時代になっています。

神様は私たちがご自分をきちんと見分けることを願っておられます。
十戒の第一の戒めは「あなたにはわたしをおいて他に神があってはならない。」でしょう。

何年か前、伝え聞いた事ですが、鎌倉の某神社の壁にかけてあった絵馬にはこう書いてありました。
「新学期からのお勉強が良くできますように。立教大学キリスト教学科〇〇」。

今の時代はこのビニールハウスが福音・神様・すべての倫理の上に立っているような印象です。

私たちの心の中には「和・中庸」が大きいでしょうか? それとも神様?(李)

2011年7月号

 子どもに戦争を説明することはなかなか難しいです。聖書的で理想的な内容と世間の現実が子どもの心の中でぶつかります。

テロリスト、ビン・ラディンが射殺されました。

このことで沢山のアメリカ人達が集まって「ハレルヤ!」と歓呼の声をあげる場面をテレビでみました。
「いくら悪人だとしても人を殺したということであんなに喜ぶなんて、キリスト教国家と自称しているくせに、彼らは今神様も共に喜んでいらっしゃると信じているのか?」血で血を洗います。

「愛と平和のためなら暴力でさえ許される。」という人は皆嘘つきです。

しかしこの嘘が世の中に満ちて真理のごとく振る舞っています。

仮面ライダーに夢中になっている息子が「お父さん。悪者は殺しても良いの?」と聞きました。
「絶対そんなことないよ。お前を造られた神様は彼らをも造られたから彼らを殺せば神様は凄く悲しまれる。戦争は罪だ。」
「お父さんも兵士だったじゃない?」「…私がしたのは訓練だけだった!」

やっと言い訳を付けました。こんがらがっているのはむしろ私の方のようです。(李)

2011年6月号

 主の昇天記録を読む度に浮かぶのは「主は今何処の上空を飛んでいらっしゃるのか?」というちょっと可愛らしい発想です。

使徒言行録一章に基づき、時速約八qで上に真直ぐ二千余年間飛んで行く事が出来るとすると今頃は地球から約一億三万七千q離れた宇宙空間、即ち火星と木星の間の約三分の一のところを飛んでいらっしゃるか、或はもし火星でUターンされたら今頃地球へ着かれる時になるわけです。

では…このように物理的に理解してよろしいでしょうか?いいえ、とんでもありません。
それでは一体イエス様は何処まで昇天されたのでしょうか?天(空)って何処でしょう?

正に私達の心の中こそ主が昇天された空です。
これは主が私達の心の空に入って来られ全く新しい時空間を創られたという意味でしょう。

主は私達の目には見えない聖霊の形でこの世の私達の心に居られます。

そして、この世を神の国にさせるため二千年前から今に至るまで働いておられますこの世を舞台にし私達の心を舞台にして昨日も今日もそして明日も働いていらっしゃるのです。(李)

2011年5月号

 世界的に有名な神学者ジョン・ストットという聖公会の司祭がいます。 この方が韓国を訪ねた時の事です。

彼は忙しい日程の中でも、一日間、休暇を取って休戦ラインの非武装地帯(韓半島を半分に分ける幅四キロ、長さ四一七キロの細長い地域で、ここには人間が入れずに六十年が経ちましたので、現在は自然の元々の姿を回復した地域です) へ行って、そこに住んでいるあらゆる鳥たちを観察しながら丸一日を過ごしました。

同行した新聞記者が聞きました。
「先生は神学者としても有名ですが、鳥類研究家としても有名ですね。鳥を観察し始めたことに何か特別な経緯でもありますか?」
彼は「聖書でイエス様が『空の鳥を見なさい。マタイ六・二十六』と命じられたからです。」と答えました。

イエス様が確かに命令形でおっしゃいましたので、これも掟ではあるでしょう。これはどれだけ楽しい掟でしょうか?
皆さん!益々元気になって今年も必ず花見に出かけましょう。
主の楽しい掟を守りましょう!(李)

2011年4月号

 二ヶ月前のある夜、子どもを寝かせながらこう言いました。
「貴方達に私は何も悪いことをしたことはない。私は貴方達のためなら命さえかける程愛している。だからこの親の愛を信じてくれ。どんな時にも信頼し『ありがとう』と言いなさい。怒っても、痛い目に会わせても、貴方達を憎むからではなく愛するからだ。この親の愛を信じてくれ。」
子どもはさも真面目そうに「はい」と頷きました。

ところが、翌日の夜私は息子の乳歯を抜いてあげました。
逃げる息子をしっかり?んで泣き叫んでいる息子の口から歯二本を抜きました。
大変な作業が終わった後皆冷や汗をかいていたら、ちょっとおかしい事が起こりました。

血まみれになった口で涙をぽろぽろこぼしていた息子が私に近寄って来て抱きついて「お父さん!」と何回も言うのでした。
耳を疑いましたが、すぐ、その前の夜の私の言葉を思い出しました。

「それを本当に信じてくれているのだ!」たとえ怖くて痛くても、素直に親の愛を信じて感謝する子どもの純粋な態度を見ながら、私は「神様の愛に対する私の信頼がこれほどあればどんなに良いことか?」と何回もじっくり考えることになりました。(李)

2011年3月号

 宮崎県で口蹄疫が流行った後、韓国でも2ヶ月にわたって口蹄疫が猛威を振るっています。

強い伝染病である口蹄疫は蹄が二つである動物(牛、豚、羊、山羊、猪、鹿等)がかかる病気で、発病するとすぐ死んでしまいます。

治療して治っても商品価値が落ちます。どうすれば良いでしょうか?人間の下した答えは意外に簡単です。
「殺処分」。韓国では発病地から半径十五q以内の全ての牛や豚を全て殺すことになっています。

また韓国では薬剤を注射して殺しますが、注射液が足りないということで豚は生き埋めにされています。

こんな風に死んで逝った家畜が韓国では少なくとも二百八十万余頭です。

この動物達に「病気の治療を受ける権利」なんかありません。ただ人間の損得勘定によって殺処分されるのです。

この大きな罪をどうやって償うことができるでしょうか?

どのような言い訳も浮かびません。
「KYRIE ELEISON」というお祈りすら、きまり悪いです。 (李)

2011年2月号

 先日の教区会で「献金、特に月約献金は信仰の表現である。」という言葉を聞き、共 感しました。
イエス様が寡婦のレプトン銅貨二枚を褒められたのも、彼女の「全面的なYES」と「献身」を大事にされたからです。

この心があってこそイエス様の体である教会が支えられるでしょう。
献金は、信じる者にとって、福音への具体的で強力な肯定「YES!」を意味します。

そして、福音を宣べ伝える教会の全活動を強力に支持するという意志の表現であり ます。

特に、福音を研究し教える聖職者に対して「あなたの、この世での暮らし向きについては、私たちがすべての責任を取るから、あなたはそんな心配を畳んでおいて、まず、イエス・キリストの命の言葉を正しく研究し、確実に宣べ伝える仕事のみに専念しなさい。」という強力な頼みであるという事実を覚えつつ、聖職者の私は、毎月、恐れ入りながら謝礼(給与)明細表を拝見しております。 (李)

2011年1月号

 幼い頃、母の習慣に対する私の不満一つ、それは兄弟と言えば二人しかいないのに、私を呼ぶ時姉の名前を、姉には私の名前を言う母の毎日のような間違い(まるで習慣)でした。

幼い子どもでも私たちは本当に気分を害していました。
ところが今二人の子どもの親になっている私も毎度子どもの名前を間違えています。

勿論、子どもはこれをおかしく思っていますが、おかしく思っているのは私も同じです。
ところがこれは私一人だけのことではないようです。お孫さんと息子さんの名前を間違える方々、娘さんと妹さんの名前を間違える方々もいます。

考えてみますとこの本能のような間違いは「どんな方法でも子どもを全部数えてワン・セットにして置かないと堪らない。」という親の心。

もしこれが、99匹で満足できない羊飼いの心と通じるものならば、この間違いの習慣も私たちが持っている神のみ形ではないでしょうか。素晴らしいみ摂理! (李)

 



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