最新メッセージ |
2023年11月号
11月10日(金)~13日(月)まで、各教区から聖職・信徒8名、管区の諸委員会の代表など約140名が参加して、山梨県清里で日本聖公会宣教協議会が開催されます。
これは2012年に開催された宣教協議会の「日本聖公会<宣教・牧会の十年>提言」で提案されているように、10年後に再び宣教協議会を開催し、十年の間の宣教・牧会の取り組みの実りを分かち合い、さらにこれからの十年の日本聖公会の宣教について話し合う大切な協議会です(コロナの影響で開催はことしになりました)。
皆さんの教会に掲示されているポスターにある通り、今回のテーマは「いのち、尊厳限りないもの-となりびととなるために-」、主題聖句はヨハネによる福音書15章5節です。
宣教協議会実行委員会の「ぶどうの枝だより」が各教会に配布され、また教区報にも転載されて、情報発信されていますが、よくお読みください。
九州教区の参加者も各教会の宣教・牧会の実りの収集、この10年間の教区の歩みの振り返りなど準備をして協議会に臨もうとしています。
九州教区では、今後の教区の宣教体制について、教区研修会を実施して学び、分かち合い、決断しようとしていますが、宣教協議会で提案されることは、教区、教会の宣教、牧会の指針となるものです。
日本宣教協議会のためお祈りくださるようお願いいたします。
またオンラインで配信されるプログラムと視聴するための情報が各教会に送られています。
アクセスできる方はどうぞご視聴ください。 |
2023年10月号
先月のこの欄で、別府野口教会のことを記しましたが、最初に別府で宣教したH.L.ブリベ司祭のことが気になりました。
「日本聖公会九州教区史」では「H.L.ブリベ」と記されていますが英語表記はありません。
また教区教役者記念聖餐式の逝去者名簿にも「ブリベ」という名前がありません。
日本聖公会の歴史に詳しい方に教えていただきました。
Bleby, Henry Leonard ブレビー,ヘンリー・レオナルド。 1864年4月4日、ロンドン北部のイズリントン生まれ。
1890年に執事按手、その年の12月5日にCMS宣教師として仲間と一緒に大阪に到着。
3年間大阪地方部の桃山高等英学校などで教師として働きますが、その期間中に司祭按手、結婚もしています。
1894年に九州地方部に移り、主に大分県、宮﨑県の教会、講義所などで働き、1907年に英国に帰国。
1917年に再来日し南東京教区で働き、1919年に離日、2年後には英国で牧師となり、牧師として生涯を送り1942年12月27日に逝去。
顔写真もいただきました。
大分では滝廉太郎とも親交が深かったようです。
ちなみに教区教役者逝去記念礼拝名簿には「司祭 H.L..ブレビイ」と名前が載っていました。
名前だけしかわからなかった教区の先駆者である宣教師のことを、少しだけですが知ることができて、嬉しく思っています。
2023年9月号
大分の聖公幼稚園で行われた研修会の帰り、濱生正直司祭、柴本孝夫司祭と共に別府市にある日本基督教団別府野口教会を訪ねました。
いつか訪問したいと願っていた教会です。
別府野口教会は、戦前には聖公会の別府インマヌエル教会でした。
戦時下、宗教団体法により、日本聖公会は組織を解散させられ合同問題が起こりますが、教区内でも幾つかの教会が日本基督教団に合同しました。
戦後、日本聖公会が再出発し、合同した教会にも復帰を呼びかけましたが、日本基督教団に留まる教会もありました。
別府野口教会もその一つです。
戦時下で教役者がいないことなどで合同を決意し、戦後も様々な葛藤があるなかで日本基督教団に留まることを決断されたようです。
わたしたちが訪問したとき、この4月に着任したばかりの清野量伝道師が快く迎えてくださり、礼拝堂に案内してくださいました。
1925年に建てられ、その後現在地に移築された礼拝堂は、まさに聖公会の礼拝堂で、祭壇は東面奥に置かれていました。
礼拝堂内は清潔に整えられており、これまで長年、信徒の皆さんが祈りの場として本当に大切にされておられることが伝わってきて嬉しく思いました。
1894年、H.L.ブリベ司祭によって始められた伝道から来年で130年を迎えるとのことですが、聖公会から始まった歴史を大切にしつつ、今もあの聖堂で礼拝を捧げ、福音を証ししておられる別府野口教会の皆さんが身近に感じられるようになりました。
2023年8月号
4年ぶりに現地での開催となった沖縄週間「沖縄の旅」に参加しましたが、そこで思いがけない出会いがありました。
グループで話し合う時間に簡単な自己紹介があったのですが、ある方が「洗礼を受けたのは大阪教区の教会ですが、聖公会との出会いは四恩幼稚園です」と言われたのです。
四恩幼稚園は静岡県沼津市にある幼稚園で、現在は学校法人になっていますが沼津聖ヨハネ教会の幼稚園です。
わたしが九州教区に来るまで牧師であり園長であった教会、幼稚園です。
「四恩幼稚園」の名前をこんなところで聞こうとは思ってもみませんでした。
その方にお話を伺うと、父親の転勤で沼津に来て四恩幼稚園に入園します。
日曜学校に通うようになり、大学生の時に大阪教区の教会で洗礼を受け、今は東京教区の教会で信仰生活を送っているとのことでした。
四恩幼稚園の教職員はそのことを知る由もないのですが、幼稚園で蒔かれた福音の種がその方のなかで成長して確かな実を結んでいることを知って本当に嬉しくなりました。
この方のように幼稚園、保育園が信仰の入口になった方も少なからずおられるでしょう。
九州教区には5つの幼稚園、子ども園があり、5月末現在で350名以上の子どもたちが通園しています。
多くの教職員の皆さんが働かれ、日々の保育を通してキリストの福音を子どもたちやその家族に伝えておられます。
クリスチャンになることを目的にしているのではありませんが、幼稚園、子ども園が教会の宣教を担っていることを覚えお祈りください。
2023年7月号
わたしが司祭に按手されてから39年になりますが、ずっと主日聖餐式を守っていました。
指の怪我で入院手術したときには、医師にお願いして教会に戻り、主日聖餐式をしたこともありました。ところが先月、初めて主日聖餐式を休みました。
原因はコロナウイルス感染です。
ジャカルタでの最終日、喉の痛みがあり風邪気味かと思いましたが、発熱もなく帰国、自宅で2時間過ごして対馬に行きました。
対馬から戻った夜に連れ合いと帰省中の娘が発熱し、翌朝、受診して陽性と診断され、私も検査の結果陽性でした。
教区事務所からパソコンや資料をもって自宅に戻り、外出禁止となりました。
日曜日は外出は可能でしたが、執事がいて礼拝が出来ることもあり、念のため主日礼拝を休むことにしたのです。
コロナ陽性となってすぐに気になったことは、わたしと接触していた人たちのことです。
教区事務所、教区センターの皆さん、厳原聖ヨハネ教会の皆さんなど、すぐに連絡をしましたが、特に高齢の方、持病を抱える方が発症しませんようにと思い、祈らずにはおられませんでした。
ジャカルタに同行した司祭は陽性でしたが、幸いなことにそれ以外には陽性と診断された方は一人もおられませんでした。
誰とも接触できない状況に置かれて、わたしたちは多くの人たちとの関係の中で生かされていること、その交わりが豊かで尊いものであることを改めて強く感じさせられました。
今もお独りで過ごしておられる方が少なくありません。
わたしたちが主に在る家族であることを、いろいろな仕方でお伝えし合いたいものです。
2023年6月号
復活日の翌日から5日間、協働関係にある釜山教区から朴東信主教はじめ15名の聖職が九州教区を訪問されました。
日程の関係で今回は福岡聖パウロ教会、熊本聖三一教会、リデルライトホームの皆さんとの交わりとなりましたが、海外協働委員会をはじめ受入のためにご奉仕くださった皆さんに感謝いたします。
後日、朴東信主教からは大変丁寧なお礼の手紙をいただきました。
わたしは最初の二日間だけご一緒しましたが、とても印象深かったのは教役者の皆さんが本当に家族のように一つになって楽しんでいる姿でした。
特に初日の夕食は、会場が貸し切りであったこともあり、アルコールが入ったこともあったでしょうが、朴東信主教が最初に歌い、わたしにも歌のリクエストがあり、さらに他の人が歌ったり、みんなで合唱して楽しんだのです。
笑顔の絶えない食事会でした。お店の方にはご迷惑だったでしょうが、予定の時間よりだいぶ遅くなるまで皆さんで食事を楽しみました。
新型コロナウイルスの感染症法上の扱いもインフルエンザと同じような位置づけに変わりました。
新型コロナウイルスが無くなったわけではありませので、今後も感染予防に留意しなければなりませんが、わたしたちの教会生活も次第に元に戻ろうとしています。
顔と顔を合わせて共に感謝・賛美の礼拝を献げること、食事を共にすること。
共に奉仕することを通して、わたしたちが主に在って一つの家族であることを現わしたいと思わされました。
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、何という喜び。」(詩編133編1節)
2023年5月号
日曜日の帰りの自動車の中で、「あなた、今日は言葉の最後が曖昧で、何回も言い直していたね。
あなたも口腔トレーニングをした方がいいんじゃない。
『パタカラ』とか『イー』というのが良いと深夜便で聞いたよ」と連れ合いから言われました。
ある野球解説者が話しているのを聞いていて「活舌が悪くなったね」と話していたばかりでしたので、自分が同じようなことを言われるとは思ってもみないことでした。
正確には「パタカラ体操」と呼ばれ、「パ」「タ」「カ」「ラ」と発音することで、口腔内の筋肉や舌を鍛えて、嚥下をよくするトレーニングです。
だ液の分泌をよくする、入れ歯が安定する、表情が豊かになる、そして発音がはっきりするなどの効果もあるとのことです。
ソウル教区で働いていた司祭から最近聞いた話しです。
その方が働いていた教会では、毎年、年間を通しての聖書朗読者を何人か選び、その方たちは、専門家から発音や朗読の訓練を十分受けて聖書朗読の奉仕をされるそうです。
聴きやすい発音、声の大きさ、読む速度、間の取り方などを学ぶのでしょう。
また礼拝参加者も聖書朗読のときには聖書を見ないで朗読される聖書を聴くのだそうです。
朗読者と聴衆の間にいい意味での緊張感があるように感じられます。
聖堂の広さ、出席者数、マイクの有無など教会によって環境も違います。
式文の唱え方、聖書の読み方、説教の語り方が、聞きやすいものか今まで以上に意識しようと思わされたことでした。
2023年4月号
先月号のこの欄に、永井隆さんの「萬里無影」という書のことを記しましたが、その意味が定かではありません。
2月に永井隆記念館を訪ねる機会があり、館長にお尋ねしました。すると「萬里無影」という題の随筆があることを教えてくださいました。
早速買い求めて呼んでみました。
原爆投下から5年後に書かれた随筆ですが、5年前の月夜に、影を落とすものが何もない原野を見ていた時のことを記したものです。
妻を失い、家や財産を失い、業績を失い、健康を害し、いずれ職も失うかもしれないと思いながら月夜の原野を見ていて、すべてを失ったことが少しも惜しくはなく、悲しくなかったそうです。
そして「滅びるものは滅びるのだ。なくなるものはなくなるのだ。
そんな頼りないものにとらわれ、それをほしがり、わが手に入れたら奪われまいとあくせくしていた人間生活の愚かさをまざまざと知ったから、すべて滅び去った跡を見て、かえって胸のうちはせいせいしていたのです。
そうして、わたしの求むべきは滅びないものでなければならない、と気づいて、その求むべきものとは天の国とその義であると知ることができたら、新しい大きな望みが胸のうちにわいてきたのです」と記しています(『如己堂随筆』202頁)。
「萬里無影」には、このような神への信頼と服従の想いが込められていたのです。
主イエス・キリストのご復活を心からお祝い申し上げます。
*『如己堂随筆』 永井隆著 アルバ文庫(サンパウロ)
2023年3月号
皆さんがこれを読まれるころ、わたしはブラジル聖公会サンパウロ教区を訪問しています。
ブラジル聖公会で行われる日本人伝道100周年記念感謝礼拝(3月12日)に招かれたからです。
日本人のブラジル移民は1908年からですが、1923年3月13日、サンパウロに着いた伊藤八十二師(3年後に司祭按手されます)が、日本人6名と礼拝をしたのが日本人伝道の始まりです。
ブラジルでの日本人伝道の歴史について何も知識がなく、いただいた資料を読んでいます。
伊藤八十二司祭が建てられた聖ヨハネ教会は戦後すぐに、戦災で建物が焼かれ物資なども乏しい日本の状況を知り、婦人会が中心になってバザーを開催し、日本聖公会に支援金や物資を送っていたことを知りました。
当時は日本とブラジルは国交が途絶えておりアメリカ聖公会経由で日本に送られたそうです。
それに対して多くの方々からお礼の手紙を受け取ったとのことですが、永井隆氏から「萬里無影」と書かれた書が届き、今でも聖ヨハネ教会に飾られているのだそうです。
なぜ永井氏が書を贈ったのか記されていませんが、原爆によって壊滅的な被害を受けた長崎の教会にも支援物資が送られ、それが永井氏のもとにも届いたのではないかと想像します。
「日本聖公会九州教区史」、「長崎聖公会略史」等には記されてはいませんが、聖ヨハネ教会からの支援は九州教区にも送られたのでしょう。そのお礼もお伝えしたいと思っています。
2023年2月号
二〇二二年クリスマス翌日にSさんから嬉しいメールをいただきました。
Sさんはクリスマス礼拝の司式をすることになっていたのですが、ご近所の方が友人を二人連れて来られたそうです。
どなたも教会の礼拝に出席するのは初めての高齢者の方々、司式者としてどうしようと動揺したそうですが、信徒奉事者研修会のときに、わたしが「いつ、どこで、だれと礼拝しているかを把握すること。出席者によってアナウンスや唱える速度を考えること」と話したことを思い出したそうです。
そして礼拝用書に栞を挟んでお渡しし、礼拝を始める前には礼拝について簡単な説明をされ、また礼拝中も祈祷者や聖歌集を示しながら頁数をアナウンスされたとのこと。
信徒の皆さんも初めての方々の隣りに座ってサポートされたとのことです。
初めて来られた方々は祝会にも参加して「楽しかったです」と笑顔で帰っていかれたそうです。
司式されたSさんや信徒の皆さんが、初めての方々と一つになって献げる礼拝になったことでしょう。
Sさんは、「初めての方を戸惑わせたり、置き去りにすることなく、司式できたのではないかと思います」、また「礼拝がよい時間、よい場所になるように会衆の皆さんと一緒につくりあげていくことの大切さを学んだ礼拝となりました」と記されていました。
礼拝が司式者と会衆との協働の営みであることを実感されたSさんは、これからも責任と喜びをもって奉仕してくださることでしょう。
2023年1月号
早朝、福岡空港に向かう自動車の中、連れ合いが朝焼けの空を見て「わあ、きれいな空、素晴らしい!」と大きな声を上げました。
ちらっとそちらに目をやったのですが、それ程でもないな、というのが私の実感で、思わず「どこが?」と口に出てしまいました。
「あなた、きれいだと思わないの?」と呆れられ、「ラジオ深夜便で聞いたのだけれど、大人になると時間の経つのが早く感じるのは、感動が少ないからだと言っていたよ。
子ども時代に、時間が長く感じるのは、いろんなことに感動したり驚いたりするからだそうよ」と教えてくれました。
わたしにとっては年ごとに時間の経つのがどんどん早くなっているように感じられるのですが、だんだん無感動になっているということなのでしょうか。
不安になってきます。
振り返ってみるとそうかもしれないとも思えてきます。
空を見上げたり、草花に目を留めたり、川の流れを眺める時間は少なく、いつも何かに急かされているような感じです。
〝センス・オブ・ワンダー〟は子どもたちだけでなく、大人にも大切なのでしょう。
心のストレッチが必要なようです。
子どもたちのようにとはいかなくても、身の回りのことに目を留め、心を動かされ、感謝、賛美を献げる者であり、少しでも人びとの苦しみや痛みに寄り添える者でありたいと思わされました。
主イエス・キリストのご降誕をお祝い申し上げます。
今年も主の平和の器をして共に歩んでまいりましょう。
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