教区報「はばたく」に掲載のコラム

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2019年バックナンバー

2019年12月号

 天使には様々のタイプがある。
主なものではセラフィムとケルビム、大天使ミカエル、癒しの天使ラファエル、受胎告知に登場するガブリエル、人間に最も近いというエンジェル等々…。

 さて天使にはもともと性別はないのだが幼少期に見たクリスマスの聖劇では、天使はだいたい女の子が多かったし、「白衣の天使」とか「天使の歌声」等と表現される。
特に受胎告知で登場するガブリエルはダ・ヴィンチやフラ・アンジェリコ等の絵の印象がつよく、若い女性という感覚が何となく染みついている。
しかしもともと西欧ではガブリエルは男性名として使われている位、男性性に位置づけられる。

 性の役割や年齢についてのイメージは成長プロセスの学習で感覚的に染みついてしまうが、色々な経験から性役割についての偏った既成概念が再び修正される。

 今やさらに性、年齢については多様性、個性が尊重される社会である。
特に発達期のイメージ形成の中で、差異感についての認識を正しく受けとめる機会が必要だと思う。
(小笠原嘉祐)


2019年11月号

 今まで三年の間、三ヶ月に一度この欄で皆様のお目に留まる機会をいただいたことを感謝申し上げたい。

 改めてこれまでの原稿を読み直すと、この間に交わりが深まったり新たな出会いがあったりと、自分自身を取り囲む恵みが豊かであったことを思わされる。
特に、毎年訪ねる東北で出会い、繋がり続けている人との縁は、私にとって欠くことのできない、「私」を形成するうえで大切な部分となっていることを改めて実感する。

 三年前この欄を依頼された際、「私は東北のことを伝え続けたい。同じことしか書かないが、それでも良ければ」と引き受けたが、今回を含む十二回のうち半数以上を東北について書かせていただいた。
毎年同じ場所に行き、見続け、会い続ける中で感じること、東北の今を伝え続けたいという思いを、この欄で形にさせていただけたことを改めて感謝したい。

 私のこの「伝える」という手段は、この欄以外でこれからも続けていく。
折あらば、またどこかでお目に、お耳にかかることがあると幸いである。

 この号がお手元に届く頃、間近に迫った今年の東北への旅に心奪われていることだろう。
(牛島和美)

2019年10月号

 毎回悩むのが「私が診たことのない病気」をどうやって伝えるかということである。

主治医として、家族と悩みながら治療した病気については伝えたいことが山積みで話しやすい。
一方、治療したことのない病気についてはどうしても表面的になり、それをどう克服するかが大きな課題だった。
先月、ラジオで教育学者の齋藤孝氏が「意味と感情はセットで、自分の感情が薄くなると言葉は伝わりにくくなる」と語っていたが、ああ、こういうことなのだなあと思った。
教会では聖書の言葉を「伝える」が、まさにみ言葉を私たちの血と肉にして、意味だけでなく経験や感情、気持ちで伝えることが大事なのだろう。
(鶴澤礼実)

2019年9月号

 キリスト教についての対談の中に、興味ある記事があった。

神学大全をはじめとして極めて膨大な著作を書いたトマス・アクィナスという神学者についてである。
この人の原稿の文字は「読めない文字」と呼ばれている位の悪筆であった。
トマスは読むよりも早いスピード(!)で著作を書いていたという。
自分の思考の展開の速さに追いつくために、とにかく手を動かして執筆したために「読めない文字」と呼ばれる原稿になったらしい。

 ところが、その著作の結論に近づいたところで急に書くのをやめて著作を放棄した。
なぜなら「神に関することに比べると、私がこれまで書いたものはわらくずのようなものだ」と…。
信仰の本質は言葉を超えたところにあるということを言ってるのだろう。
今やネット社会の中で言葉の表現を書き言葉にすることが増えている。
思いのままに表現しているはずなのだが、すべてを語りつくすことは幻想でしかないし、読まれることでの単純な評価が気にされる。
言語表現は軽さを増している。
ますます文字で表現されることが本質には至らなくなるのではないだろうか?

(小笠原嘉祐)

2019年8月号

 私の地元山口県では、広島の原爆の日にサイレンが鳴り、夏休み中の学校もこの日は平和学習の登校日に充てられていた。

原爆資料館にも何度か行き、被爆者や破壊された街を写した写真が掲載された関連書籍にも手を伸ばし、私は広島の原爆を通して戦争による「痛み」を感じようとした。

 歌を歌うようになった私は、その曲の歌詞が表す風景を実際に見るように努めた。
風や色を感じ、想像した。きれいな風景を歌った歌もあれば、悲しみや苦しみを歌った歌もある。
そのような時にも、必要なのは「痛み」を想像する力だった。

 最近の若者は、想像する力が乏しいという。
その一因には、リアルを見せる機会を与えなくなってしまったことも関係しているのではないだろうか。
負の歴史には悲惨な事柄が必ずあるのに、悲惨だからとフィルターをかけたり、負の部分を欠落させてはいないだろうか。
人間がギラギラとした命を謳歌する一方、愚かさが生み出した暗黒の部分もあることを見せないで、想像力は養われない。

 令和になって初めての「終戦の日」がやってくる。想像しよう。
輝く命が過ちによって多数失われる「痛み」を。
(牛島 和美)

2019年7月号

 貧乏ゆすり

一般に、人前では「貧相だ」と言って嫌われる「貧乏ゆすり」。
しかし数年前、脚のむくみとか冷え性に効果があると指摘されて、市民権を得てきました。

 私は、十年以上前から、くせになるほどの貧乏ゆすりは、変形性股関節症の治療に役立つ、と推奨してきました。
近年、NHKの「ためしてガッテン」にこの貧乏ゆすりが取り上げられ、私も出演しましたが、放送後、いろいろの反応がありました。
「そんな方法があったのですね」という言葉や、同時にNHKともあろう公共放送が、どうして科学的根拠もない治療法を取り上げたのか、などといった色々な反応がありました。

 放送の中で治療のもとになった根拠は示さなかったのですが、この治療法の発端になっているのは、肋骨両端の胸郭の関節には関節症は起こらない、という医学的な事実です。
どうしてでしょうか? 世の中、胸が痛くて息のできない人が出てきたら大変です。
創造主は胸郭の関節には関節症が起こらないようにプログラムされました。
そのプログラムが貧乏ゆすりです。
関節を小刻みに動かす、すなわち貧乏ゆすりをすると軟骨は劣化しない、という医学的事象を、創造主は呼吸機能を通して教えてくださっているのです。
(遺稿 井上 明生 )

2019年6月号

 お酒もタバコも基本的には依存物質であり、病的依存は「依存症」として精神的治療の対象となる。
疾病分類としては「物質関連障害」として位置づけられている。
タバコについては今や有害物質として生活環境の中で禁煙対策を含め、徹底されつつあるが、お酒は運転の際にきびしくなっても禁酒とはならない。

 さてお酒の歴史、ことにワインについては極めて古い歴史がある。
アルメニアには六千年前のワイナリー跡が出土しているということで、ワインの発祥の地はアルメニアを含む南コーカサスといわれている。
アルメニアといえばアララト山そしてノアの箱舟となる。
そこで創世記第九章には「ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた」とある。
あのノアでさえ酒で態度が豹変したのである。
その他にもワインにかかわるきわどい話が旧約聖書には記されている。
要するに飲酒は適量を守るということが必要だということである。
(小笠原 嘉祐)

2019年5月号

 「令和」という新元号が発表された今日、新年度がスタートした。
町では、入社式の帰りであろうか、着慣れないスーツ姿の若者が、期待と不安の混ざったような表情で歩いている。
そう見受けられるのは、自分自身も新しい生活が始まった同じ境遇だからであろうか。

 転居の準備には断捨離が欠かせない。
家財の一つ一つに思い出を重ねつつ、処分する。
喪失感と言えば大袈裟に聞こえるかもしれないが、実際にうつ病発症の要因には「転居」や「新しい部署への異動」が大きな割合を占める。

 私の場合は、転居までにおよそ二ヶ月の準備期間があったが、災害被災者の場合そうはいかない。

取るものもとりあえず我が家を離れざるを得なくなる。
家族の一員である動物や家畜を置いていかなくてはならない苦しみや、流失や焼失で全てを失った悲しみ、元の生活に戻れない失望感。
被災から時間が経っても癒されない苦しみの中に、今も置き去りにされている人がいる。

 うつむき加減だった私の頭上に、気が付けば満開の桜。
空には雲一つない。
この空が繋がる東北へ思いを馳せる。
友よ、あなたもこの空を見上げていてほしい。
(牛島和美)

2019年4月号

 天国の特別な子ども
重症心身障害児父母の会の機関誌にエドナ・マシミラ作のタイトル名の詩が出ていました。

 「会議が開かれました。地球からはるか遠くで」という書き出しで始まります。

 天国で天使たちが会議を開いて、次に生まれる子どもはどの両親に託そうか、という話合いをしています。

 次に生まれる子どもは、重度の障害を持っているから、だれに託するのがいいだろう。
そうだ、あの二人(両親)なら愛情を持って育ててくれるだろう。
そしてあの二人なら、自分たちにこの子どもが与えられた意味(神の愛)を感じ取り、自分たちに求められている役割に気付き、より信仰を強めてくれるだろう、といったやり取りが続きます。

 この詩を読んで、しばらく考え込みました。
私たちは何か災難にあったとき、苦しいときに祈りを捧げます。
しかしその時、神の助けを祈る前に、その災難、苦しみはなぜ与えられたのだろう、と考えるだろうか。
神は無意味なことはされない、という神の恩寵を考えたとき、祈りの内容は変わるかもしれません。
日ごろの思い悩みを乗り越えた重度障害児の両親に接したとき、天使たちの会議が実を結んだのであろうか、とふと思うことがあります。
(井上明生 遺稿)

2019年3月号

 初期キリスト教が興隆した都市としての典型がローマ第四の都市アンティオキアである。
使徒言行録によれば、弟子たちがはじめてキリスト者(クリスチャン)と呼ばれた。
マタイによる福音書が編纂されたところといわれ、何よりもバルナバ、パウロの伝道活動は有名である。
ところがアンティオキアはローマが誇るような文化都市ではない。
R・スタークという宗教学者がこの都市の有様を再現している。
もともと城塞都市なので拡大できぬ都市構造の中にすし詰めの人間が暮し、公共施設を除けば住居・道路は極端に狭く、いつも窒息しそうに煙がただよい、上下水道等の衛生設備は皆無に近く、想像を絶する不潔さがあった。
交通の要衝ではあるので他民族が対立しながら存在する無秩序と混乱、おまけにしばしば天災に見舞われた。
しかしこのカオス的状況だったからこそ、キリスト教の福音が沁み透っていったといわれる。
今の時代に通じる本質的なチャリティがそこにある。
(小笠原嘉祐)

2019年2月号

 昨年十一月、毎年恒例の東北訪問。
一週間の旅程の中、必ず訪ねる家や場所。
今回も各地で懐かしい人に会えた。

 年々高台に新しい町や道路が出来る地域もあれば、フェンスに閉ざされ荒れるにまかせた住宅が軒を連ねる地域もある。
とにかく前に進んでいこうと笑顔で働く知人がいる一方、長い心の苦しみから体調を崩している友もいる。
物的被害もさることながら、心的被害は他人の目には見えないままくすぶり続けている。

 現地で見たものや感じたことは、やはり折に触れて伝えていきたい。
その思いから、十二月に対馬市内でコンサートを企画した。
報道される機会が少なくなった今、東北への意識は低下しているのが現状だ。
だからこそ、伝えなければ。
それが、東北の今を見てきた自分の使命だという思いがある。

 毎年東北を訪ねるきっかけとなった仮設住宅でのコンサート。
そのエピソード、その時歌った歌、被災者が選曲した理由など話しながらのひと時。
語れば涙も流れてくる。
帰り際、観客の一人が「お母さんのようですね」と声をかけてくれた。
私の東北愛もそこまで来たかと自分でも嬉しくて、また涙。
(牛島和美)

2019年1月号

 本庶佑(ほんじょたすく)先生にノーベル賞
昨年度ノーベル医学生理学賞は京都大学の本庶佑先生に授与されました。
日本人二十六人目、医学生理学賞では五人目です。

 受賞の対象になったガンに対する免疫療法の研究成果は発想の転換から生まれました。
一般にガンの免疫療法と聞けば、多くの人はいかにして免疫力を高めるか、と考えると思うのですが、本庶先生は、免疫力を高めようとしても、それに抵抗する物質があるのでは?と考えました。
つまり車を運転するとき、サイドブレーキを外さずにアクセルを踏んでいる状態、というわけです。

 「押してダメなら引いてみな」という言葉がありますが、世の中、ときに発想の転換が必要なことがあります。

 私たちが常日頃利用する鉄道の自動改札、最初の試作品は、一分間に六十人を通過させたそうですが、混雑回避のためには九十人を通過させる必要がありました。
そこでどうしたか。チケットを挿入したら開くのではなく、間違ったチケットが挿入されたら閉じるようにして目的に達したそうです。

まったく逆の発想です。 このようにして生まれた薬が「オプジーボ」です。
創造主は本庶先生を通して、人類の幸福のためのプログラムを少し明らかにしてくださいました。
(井上明生)

 

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